生涯最高の失敗
ほんとにかなり前読んだ本ですが、blogせずしては死にきれないぐらいの思いがあったので秋の夜長にblogです。(笑)
私は日ごろ大企業の技術屋さんに会うことが多く、文系×女性ならではの質問を投げかけることによって、その技術のありがたみやすばらしさを引き出すことを得意としています。(笑)
先日のエントリーでも自分の役回りは技術によって可能になる範囲をシンプルにそして誰にでも分かるように説明していく、もっというと、その技術によって可能になることにワクワクしたり、それを知ってもらいたいぜっという気持ちから人に伝えるということが多い気がしています。
さて、前置きが長くなりました。
ノーベル賞受賞者の田中耕一さんによる「生涯最高の失敗」の本を読んでの感想です。
いくつか、本を読んでいて「これは!」と思った個所があるので、その個所と私の感じたことを載せておきます。
■P49『「性能の一部が2??3倍向上しただけでは意味が少ない」という、グループ内の意見だけに基づいて、市場リサーチもせずに製品化を見送る判断を下し、その技術を放置してしまいました。研究者・技術者の仲間内だけで判断してしまったのです。「自分達は大したことを開発していない」という、日本の技術者らしい自己を卑下する判断があったことは確かです。』
私は大企業に勤めたこともないし、技術者の現実は知りません。でもいろんな技術者の方と話をするにつけ、私が理解できないからこそ、聞きたい技術の先にあることを率直に聞いてきたと思っています。
そして、話をしているうちに、なんでもっとその出来ることやその先にあることをひろげていかないんだろうと思うことがあります。もちろん後者の考え方にはおごりというか、視点の違いを感じるわけですが、子供のような思いで、その技術の可能性にワクワクするわけです。
■P124.自分の経験や思ったことのシェアについて
このあたりのページで田中さんは自分が知ったことや、その関連の知識を自分の中でまとめて、そして定期的に人とシェアする機会をもつことのすばらしさに言及しています。
どうでしょうか?みなさんは自分の興味のあることについて自分が知ったことや勉強したことをわかりやすくまとめあげて、人とシェアする機会はあるでしょうか?
私もblogを始めるまでは、そういった機会はありませんでした。はっきりいって自分の知識や経験は自分だけのものだと思って、そういうものをシェアしようという思いはあまりありませんでした。
でも、あるとき思ったんです。これは鮮明に覚えているのですが、blogをすることをひとにすすめたときに「なんで好き好んで自分の知識を人におしえなきゃいけないんだ!」といわれたんです。すごくショックでした。が、もちろん、この考えもよくわかります。
私の思いをいうと、blogも含めて自分の経験や感じたこと、そして知識をシェアしたいと思う過程でかなり元をとっているというか、楽しいんです。
自分の持っている知識や経験についてもいろんな見方があるんだなぁと思った瞬間でもありました。
■自分の限界とは?または、自分の可能性について。
ちょっと引用が長くなります。P208からです。
『よく、親戚・近所の人や大学までの私を知っている人から、そんなに気の強いほうではなかったおまえが、なんでこんなに変われたのか、と聞かれます。・・・。人間、自分がいま現在できることを100%として、それを実行しようとして失敗すると、落ち込みますよね。そうすると、今度は90%位をめざして、それで良しとするようになってします。でも、たとえ目標を90%に押さえても、やはり失敗することはあります。失敗の原因は、かならずしも自分にあるわけではありませんから、目標を90%にしておいても、自分以外の要因で、うまくいかないことだってあるかもしれない。すると、さらにめざすところを低く設定する・・・・。こういう良くない循環に陥ってしまう可能性があります。とくに大学までの自分を含め、気の強くない人は、こんなふうになりやすいのではないでしょうか。、だからといって、はじめから200%あたりをねらっても、それでは失敗ばかりしますから、もう少し手軽な、110%とか120%あたりをめざしてみる。それなら、たとえ目標を達成できなくても、ちょっと高望みしたから仕方がないな、と考えることができて、あまり落ち込まないですみます。ところが120%だとたまに、できてしまうことがあります。このような経験を積み重ねていくと、いつのまにか、120%があたりまえになります。それを繰り返していくと、120%から150%、200%へと、どんどん伸びることだってできる。』
コーチングではクライアントの方に対して、120%の力をだしたらどうなるか?というチャレンジングな質問を投げかけることがあります。
120%。
現在の力は何%でしょうか?もしそれが自分の力で出せる100%の60%ぐらいだとしたら、120%は倍です。
120%という可能性に思いを馳せてみるとこれまでの延長上とはまたフェーズの違う、それでいてなんだか自分の視野に入ってきそうな自分の姿が見えてきます。
田中さんの書いているように、120%の思いよりも、60%だとか自分の限界や可能性に妥協をしてどんどんミニマムの自分になってしまうことが、本当は怖いのかもしれません。
最近のコメント