今日は表参道でCTIのリーダー、そして資格コースのかめチームリーダーの加藤さんが立ち上げた「その風」のイベントに参加してきました。
そして、加藤さんのこの新しい歩みは「いのちのバトン」の志村季世恵さんと一緒です。
いのちのバトン
バースセラピストとして、ドラマのような人の生き死に(誕生と臨終)に向かい合い、それを伝える志村さん。
私は加藤さんと志村さんの生の掛け合い講演を聞くのは2回目なのですが、日常かつリアルでだれもが思っていることを、こんなに語る人を私は知りません。
加藤さんは輝かしい経歴やキャリアを持ちつつ、ご自身の葛藤や思いを自分の言葉で語ります。
時には感情も伴います。
聞く私はそこに自分を見るのです。
正に自分の問いと悩みをそこに見るわけです。
最近思うことなのですが、唯一きれいなゴールなんてない、と。
イチローのインタビューについてブログしましたが、イチローでさえも自信と不安のなか、進んでいくのです。
自己実現や目標達成の喜びというものは、分かりやすいストーリーではなく、だからこそ自分にとって貴重なものである。
そんな風に思ったりします。
この講演で自分にとって印象的だったいくつかの言葉を書き残したいと思います。
■長所と短所
いいところは且つ、悪いところにもなりえる。
企業研修に関わるときに、「コンピテンシー」という言葉に遭遇します。何かというと要は「高実績をあげる人材に欠かせない特性」です。例えば、とても売上を上げる営業マンに共通する資質やスキルです。それにそぐうような人材は企業にとってポテンシャルのある人材になるわけです。
が、しかし。そこで考える必要があります。
そのスキルや資質。例えばプレゼンテーション能力だったり、ロジカルシンキングだったり。
本当にそのスキルや資質が手に入ればバラ色の人生なのか、と。
例えば、ある種の資格。たとえばMBAや中小企業診断士、医者や会計士。こういった資格はある種のコンピテンシーを保証するものといってもいいかもしれません。しかし、そういった資格やスキルはなにを与えてくれるのか。
確かにスキルや技術は日常に欠かせません。しかし、それは自身の目的に活かされて初めて輝くのではないかと。
そしてその道は一朝一夕ではないでしょう。その道のりには苦労もあるかもしれないし嬉しさもあるかもしれないし、明確なすっきりなものではないかもしれないのです。イチローについての話を書きましたが、世の中はある種の明快さを求めているかもしれません。転職や誰も文句の言いようの無いパートナーだったり、それは人によって違うでしょう。
いま、思っていることはそういった明確なゴールや理想像は確かに目指すイメージなのかもしれないけれど、その過程にはいろいろあるし、決して平坦じゃないということ。あのイチローでさえ、自信と不安で揺れ動く、そういったプロセスである、ということを。
■自責と他責
例えば、何か物事がうまくいっていないとき。
そんなときあなたはどんな風に思いますか?
私は、
「期待して→諦めて→キレる」
そんな、癖をもっている自分に気がついています。
そして、期待は自分に対するものもあるし、他人に対するものもあるし、そして社会に対するものもあります。
ある種の期待をし、そこで裏切られたと思い、そして諦めるかキレるかを繰り返しているように思います。
それはあたかもロシア人形のように、入れ子の存在です。
自分に対して期待して、諦めて、キレる人は、他人に対して同じプロセスを踏んでいるのではないでしょうか?
だから、人を責める、自分を責めるという道のところに何があるのかということを知ることは必要であると考えます。
今日の講演でヒントになったところをあげると、
自分のことを考えれば考えるほど、自責/他責の念に駆られるということです。そんなときに相手や状況にどう向き合えるか?そもそも自分はその相手や状況に対してどう関わりたかったのか、その分かち合い方、楽しさ、自分の活かし方を理解して自分も活きて、人も活きる、そういう状態を加藤さんと志村さんは「原点」と表現しました。
■「が」の超越~自分「が」
今回の講演のテーマ「このままでいいのか?」という演題に対して、志村さんはこう応えました。あなた自身のそのまんまでいいのよ。でもこのままでいいの?そういう感じだと。
これを私なりに翻訳すると、
"Your being is OK, But your current doing is OK?"
加藤さんは自己実現について、外界の「箱」としての自己実現(例えばMBAとるとか、弁護士、医者、会計士などになること)は際限のないものだとします。もちろんそれは他者との比較において。
そういう、自分に対するダメだしやひとに対するダメだしを超えて、受け入れるということについて、加藤さんと志村さんは語ってくれたと思います。
それはそもそも自分を受け入れるという行為は人の営みである限り、人の命の有限性に依存しているのではないか、と。
それはものすごい、しっくりくることだと思います。
志村さんは、人の命は有限であるからこそ、今自分が何がしたいかということに意識が向けられるのではないかと言っていたのではないかと思うわけです。
他にもいろいろと考えてみたいテーマがあります。
それは、大人の成長というテーマです。
大学時代にライフサイクルの心理学という本がゼミのテーマになりました。
そして、ゼミの先生である榊原先生は「それでもなぜ大企業に行くのか?」というテーマをグループワークのテーマとして設定しました。
なんで、こんなことを覚えているのかはよくわかりませんが、意味はありそうです。
そういいきってみると、トランジションの時代に大学時代を送り、当事者意識の無いまま、このグループワークをしたことは、却って社会人になったいま覚えているのかもしれません。
そして、今日の講演は確かに、誰もが思い、考え、そして感じ、そういった重なりに目を向けざるを得ない、そして向けたいと思うようなイベントだったのです。
最近のコメント