コーチングのアシスタントの経験が冷めやらぬなか、たくさんの方からこのエントリーに対するフィードバックをいただきました。
電車のなかで気になったことがあったので書き留めておいたことがあります。
「愚直に好きなことをやりつづける」
『愚直』。以前だったらネガティブなイメージだったんですが、今の自分にとってだいじなのかもしれない。
「答えは自分の中にある」
コーチングでは「答えは既にクライアントのなかにある」ということを本当に信じきって行うのですが、自分自身に対してこんな感覚を持つということは意識したことがなかったんです、正直言って。なんだか目から鱗な感じです。
「目線の先に何が見えているか?」
最近、コーチング以外でも、目の前の人が何を見て、話をしているのか?が気になります。目線の先にあるものも重要なのですが、同じぐらいにどのくらい先を見ているのか、ということが大事な気がします。
話をしているときに目があっていて、自分の眼の先にこの人はなにをみているのだろうか?と思っている自分に気がつきます。
あ、でもみんな怖がらないでね。(笑)
こんなことを今考えています。
いいなぁ・・。まさに、その人のDoing ではなく、Beingを見ているYukiちゃんが想像できる。ステキ!
投稿情報: Sakurai | 2003-06-06 01:21
>「愚直に好きなことをやりつづける」
これは、最近自分が気になっていることと近いものかもしれないと思い。
自分にとって、このことばはどうかなぁ?と探ってみました。
演劇そのものも当てはまりそうなのですが、今年に入ってから浮上してきたことがあります。
とあることで「こどものころの気持ち、大切にしたいな」そう思ったのをキッカケに
『こども時代に感じた秘密基地ゴッコのワクワク感』
というテーマで、4月に1本芝居を公演したのですが、
なんだか、自分にとってこのあたりに『愚直』が当てはまりそうです。
>話をしているときに目があっていて、自分の眼の先にこの人はなにをみているのだろうか?と思っている自分に気がつきます。
これを公の場に書けるのは、すごいことかもしれませんね。
今まで人に言ったことはありませんが、実をいうと、自分も同じことを意識することがよくあります。
話をしていた相手から、「こころの底まで見透かされているような気がする」と言われたことも何度かあります。
あまり気にしないようにしてますけど、いいのかなぁ?
ときどき、これはおかしいこと?と思うことがあります。
投稿情報: uepon | 2003-06-06 01:42
子供の頃の秘密基地ですか。
うーん、なんとも懐かしい。私はかなり秘密基地づけの毎日でした。いまぱっと浮かんだのは「20世紀少年」です。もし読んでなかったらお勧めのマンガですよ。
「話し手の眼の先を見る」ですが、「こころの底まで見透かされている」感覚を相手が覚えるときは多分、自分は観察者なんですよね、きっと。眼の先を見つつ、観察者ではないときと観察者でないときというのは、身体感覚がちがう気がします。
観察者でのぞきこんでいるときははっと気付くとすごい疲れている自分に気付くとともに、眼がロックオンされているんです。
反対に観察者ではなく自分が相手の眼の先にあるものに惹き込まれているときには、こどものような眼で「ぐぅー」っと入り込んでいる、そんな違いがあるような気がします。
投稿情報: yuki | 2003-06-07 07:18
「観察者」
なるほど! 確かに思いあたります。妙な疲労感もロックオンも。
「こころの底まで見透かされ」を言われた相手と、そうでない場合の違いも分かりました。
すごくスッキリした気分です。ありがとうございました。今後、大きな違いが生まれそうです。
「20世紀少年」読んでみますね。
投稿情報: uepon | 2003-06-08 00:51
ueponさんのコメントではっと気がついたことがあります。
観察魔
こんなエントリーを書いていたんでした。
「観察魔」と「???」のちがい。
「???」と名前をつけるところから考えてみたいですね。
おっと、セルフコーチングしているわ。(笑)
投稿情報: yuki | 2003-06-08 08:48