先日のフランチャイズエントリーにひきつづき、「ラーメン屋と酒屋とコーヒー屋さんに行って思ったこと」。
有名ラーメン店にいきました。
そこの会計システムは注文したらおばちゃんがその場で集金します。800円のところを1000円渡してお釣りは200円でした。手渡しで1000円札を渡したのに、おばちゃんは机にぱんっと200円置きました。ちなみに私とは目を合わせません。
酒屋にいきました。
初老のおっちゃんはボジョレーを勧めます。私はボジョレーには興味がないのですが、もしよかったら飲んでみない?ということで飲んでみました。・・・結構いける。
いろいろと話をしていると、ボジョレーは空輸だとやっぱり高く、今の封切りの時期は倍ぐらいするそうです。いま、すでに船便がでているのでもう1ヶ月ぐらいしたら、おんなじものが3割から4割ほど安く買えるそうです。
でも、私はボジョレーを買いました。
喫茶店にいきました。
コーヒー豆を買おうと思って、お勧めを聞きました。小林克也似のマスターは丁寧に、それでなおかつさりげなく応対をしてくれます。その喫茶店は常連さんも多そうな雰囲気でしたが、それでいて木漏れ日の差し込む店内はゆっくりとコーヒーの匂いがくゆんでいる静かな感じです。私はコーヒー豆についてはよくわからないので、直感的にお勧めしてもらったなかから、タンザニアと中国の雲南省で作っているちょっと変わった豆を買いました。雲南は中国茶も作っていることから、コーヒーに対してもちょっとこだわって作っているそうです。
マスターはさらりと帰り際、お店のカードを渡してくれました。
道すがら、スーパーの横をとおりながら、この差は何なんだろうなと思いをめぐらしました。同時に、普段の自分はどんなんだろうかということも考えます。
ついでにもうひとつ。
昨日病院に行ったときのことです。
その先生は患者を前にして、しゃべっている時間の3分の2はカルテを読んでいました。「え、診察しなくていいの?」と心配になります。それとなくアピールをしてみますが、薬を出すので効かなかったらまた来てよ、と言います。
別にいやな気持ちになることはないし、いつものとおりなのですが、なにか心にひっかかるものがあります。
そしてまた思い出しました。
「原因」と「結果」の法則
さらっと立ち読みしただけなのですが、思いが行動に表れるというようなことを書いていて、思いはすべての原点だというを伝えています。
ラーメン屋のおばちゃん、酒屋のおっちゃん、喫茶店マスター、そしてお医者さん、それぞれの思いはなんなんでしょう?
私の個人的な意見は、思いのベクトルが自分のほうだけに向いているひとと、目の前の人に思いのベクトルが向いているひと、その思いのベクトルの違いがこういった行動の違いに出ているんじゃないかなと思います。
さて、質問です。
ではなぜその思いが自分の方だけ向いている人(利己的な人)と目の前の人に思いのベクトル(目の前の人だけではないが)が向いている人(利他的な人)、また両方向いてバランスを考えている人などの行動の違いででるのでしょうか。
その思いに至った原因。根拠如何。
投稿情報: toniyan | 2003-11-21 16:14
恋愛にも通じそうな話だなぁ。
投稿情報: mino | 2003-11-21 17:13
ある人の意見によると、
日本人は農耕民族。相手を見ると首を落とされる、その恐怖が深く根付いているのだとか。
逆に、過剰に気配りするような方もいたりしますよね。
忙しいとつい相手が見えなくなることもあるし、
急いでいても道を訪ねられたら丁寧に教えてしまうし、
バランスがうまく取れるといいなと思いました。
投稿情報: nakanishi | 2003-11-21 23:58
ずっと、みんなからいただいたコメントを考えていました。
今日、ちょっとだけ時間があったので、例の「原因と結果」の本を立ち読みし、読破してしまったのですが、行動とは人の思いの発露なんだなぁと改めて感じた次第です。
toniyanの質問、なかなか答えるのは難しいなぁと思うのですが、自分にしかベクトルが向いていないひとの世界には私が入りこむ余地がなかったのではないかと思います。
そうだ、思いついたことがあります。
例えばスペース的にぴちっとしているところを「あそびがない」という言い方をしますよね?人間も同じで余裕がないと遊びがないし、遊びがあるということは余裕があるということもいえるのではないか、と。
日本語ってよくできてますねぇ。(笑)
改めて、自分がどんなときにも遊び心を持って人と関わりたいと思っていることに気付きました。
投稿情報: yuki | 2003-11-27 00:43