中村さんから薦めていただいた、この本。
サブタイトルに「??ロボット博士の創造への扉??」とついています。
先日訪問させてもらったKTCしかり、創造性について現場の視点から書かれたものです。私はロボットコンテストのいきさつの章しか読んでいないのですが、人のいきいきとする姿の本質を捉えた、非常に素敵な文章だと思います。
著者は森政弘さん。東工大の名誉教授です。
先日会った、東北大で建築を教えているナンシーさんしかり、学生の学ぶ力に対して危機感をもっている先生は多いようです。
現在の学生の向こうに日本の将来を見ている、そして危機感を感じ取っているそんな様子が伝わります。
印象的だったことがいくつかあります。
一つはロボットコンテストという形式でもの作りの楽しさと苦しさから自ら何かを掴み取る学生の生の声。
そしてもう一つは、この森先生は仏教も学んでいて、学生が学びとった感想や気付いたことが、仏教の考え方と重なる部分が多いということ。
何か一つのことを成し遂げる経験から、自ら学んだり、人と協力することを自然と感じとる様は、今の日本の教育だけではなく、仕事といったことにも必要な気がしています。
Mineです。
久しぶりにお邪魔しました。思わず、「学生」に反応してしまいました。
ちょうど今、研究室では4年生が卒論を一生懸命やっています。ずっと今まで授業を受ける立場にいた4年生は、初めて自分自身で問題を設定し、解決していくことを経験しています。その姿勢(やる気は別として)を見ていると、十人十色で面白いのです。
ある人は、分からないことは全部先輩に聞いて教えてもらい、傍から見ていてまるで人形です。ある人は、未知の概念に遭遇したとき、今までの知識のみで対処しようとして迷走しています。ある人は先輩に聞いたとき、必ずその分野の本も教えてもらって勉強しています。
その一年後、一人目の人は、自分ひとりでは何もできないまま修士課程を過ごしています。二人目の人は、去年遭遇した未知の概念を解決しておらず、蓋をしてしまっています。三人目の人は最新のテーマを追っかけています。
3人とも研究室に配属されるまではほぼ同じ学部教育を受けてきており、その間の成績も似たり寄ったりでした。しかし、現在の評価はまるで違います。同じ教育を受けていても、その受け方にかなりの違いがあります。
実際に使う立場になって初めて昔受けた授業の大切さに気付くものです。それでは実際に使うときに習えばいいのではないか? 僕はNoだと思います。様々なことを習って、知識だけでなく、様々な発想を学ぶことが重要だと感じています。そして、未知の問題に遭遇したときに、今まで得てきた発想から様々なアイデアが生まれきて、解決への道筋が得られると思います。卒論はまさにその機会であり、今までの成果が試されるときです。
投稿情報: Mine | 2003-11-20 22:34
Mineどの、ほんとうにご無沙汰??。
うん、書いてくれたこと、なんだか最近しみじみと感じています。
私も大学院時代に学んだことは本当に貴重だったなぁと思ったりすることが多く、今もう一度同じことを勉強したらスポンジのごとく身につくだろうなぁとも思うのです。
ただ、いま自分がやっていることは大学院時代やその前からずっと続く経験やわけわかんないことに当たって、本を読んだり人に会ったりして、起きてきたこと。
そういう意味では、Mineが言ってくれているように卒論という一つの機会、これは物事に対する姿勢を自分で見つめなおす外部的な大きな節目なのかもしれません。
コメントを読んで今この瞬間瞬間を節目として考えたら、・・・それはすごいことですよね。
おととい立ち読みしたこの本を思い出しました。
「原因」と「結果」の法則
投稿情報: yuki | 2003-11-21 10:23