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2003-11-18

コメント

Mine

Mineです。
 久しぶりにお邪魔しました。思わず、「学生」に反応してしまいました。

 ちょうど今、研究室では4年生が卒論を一生懸命やっています。ずっと今まで授業を受ける立場にいた4年生は、初めて自分自身で問題を設定し、解決していくことを経験しています。その姿勢(やる気は別として)を見ていると、十人十色で面白いのです。

 ある人は、分からないことは全部先輩に聞いて教えてもらい、傍から見ていてまるで人形です。ある人は、未知の概念に遭遇したとき、今までの知識のみで対処しようとして迷走しています。ある人は先輩に聞いたとき、必ずその分野の本も教えてもらって勉強しています。

 その一年後、一人目の人は、自分ひとりでは何もできないまま修士課程を過ごしています。二人目の人は、去年遭遇した未知の概念を解決しておらず、蓋をしてしまっています。三人目の人は最新のテーマを追っかけています。

 3人とも研究室に配属されるまではほぼ同じ学部教育を受けてきており、その間の成績も似たり寄ったりでした。しかし、現在の評価はまるで違います。同じ教育を受けていても、その受け方にかなりの違いがあります。

 実際に使う立場になって初めて昔受けた授業の大切さに気付くものです。それでは実際に使うときに習えばいいのではないか? 僕はNoだと思います。様々なことを習って、知識だけでなく、様々な発想を学ぶことが重要だと感じています。そして、未知の問題に遭遇したときに、今まで得てきた発想から様々なアイデアが生まれきて、解決への道筋が得られると思います。卒論はまさにその機会であり、今までの成果が試されるときです。

yuki

Mineどの、ほんとうにご無沙汰??。

うん、書いてくれたこと、なんだか最近しみじみと感じています。

私も大学院時代に学んだことは本当に貴重だったなぁと思ったりすることが多く、今もう一度同じことを勉強したらスポンジのごとく身につくだろうなぁとも思うのです。

ただ、いま自分がやっていることは大学院時代やその前からずっと続く経験やわけわかんないことに当たって、本を読んだり人に会ったりして、起きてきたこと。

そういう意味では、Mineが言ってくれているように卒論という一つの機会、これは物事に対する姿勢を自分で見つめなおす外部的な大きな節目なのかもしれません。
コメントを読んで今この瞬間瞬間を節目として考えたら、・・・それはすごいことですよね。

おととい立ち読みしたこの本を思い出しました。
「原因」と「結果」の法則

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