最近「コーチングバイブル」を読み始めました。
リンクを張ろうとおもってgoogleで検索したら自分のblogがトップにのぼってきたのでびっくり。
私が通っていたCTIのコーアクティブコーチングのエッセンス集大成の本です。
ワークショップをすべて修了するまでは読むのはやめておこうと思っていて、積んであったのですが、何気に手にとり、読み始めました。
今日はそのなかで傾聴のレベルの話を読んでいてかなりひらめきがあったのでそのひらめきを書いてみたいと思います。
コーチはクライアントの表現していること(言葉、表情、その他すべての兆し)を鏡のようになって受け止めて、写していきます。私はコーチとしてどれだけすごいかというのはその鏡の曇のなさに表れると個人的に思っています。
傾聴というのは単に「聞く」のではなく、「聴く」ということで、レベルとしては3つのレベルに分類できるというのが、コーチングの傾聴の説明です。
(ここでレベルといっているのは俗に言うレベルが高いとか低いということではなくて、そういうモードがあるという分類にすぎません。)
コーチングの説明で傾聴について話すとき、今まではこんな風に説明してきました。
「レベル1っていうのは、自分にベクトルが向いている状態です。ああ、おなかすいたとか、これからどこどこにいかなきゃ、といった自分の内なる声にフォーカスがあたっていることを示します。レベル2というのは目の前の人に集中している状態です。自分のことはさておいて、赤ん坊をあやすお母さんのように自分のことを気にせず、相手の様子に100%意識が向いている状態です。レベル3というのは自分と相手、そしてその2人を取り巻く環境すべてに意識が行き届いていることを表します。そしてコーチングでいうとレベル1というのはクライアントの意識のあり方です。クライアントはコーチや周りのことを気にせずに自分にベクトルを向けている状態でいることが前提になっています。逆にコーチはクライアントに100%意識を向けられているレベル2の傾聴でいることが求められます。またコーチはレベル3を意識した上でクライアントのための場としてコーチングセッションをよりよい状態で保つことが大切なんです。」
こういう感じです。
そこで(今日は前振りが長いのですが)、新たに気付いたことはこういうことです。
レベル2とレベル3の違いは何なんだろうか?という素朴な疑問と思考の整理がきっかけだったのですが、
レベル2=あくまでもクライアントの状態(言葉や話し方、表情といったところから見てとれる)を鏡の向きを変えながらいろんな角度でクライアントに見てもらう。
レベル3=表面的に見えているクライアントの状態を超えた先にある姿を見せる。言い換えると魔法の鏡のように、クライアントの真の姿を写し出す。
レベル3では直感を総動員させていきます。クライアントの真の姿というのは「今、ここにいるクライアント」を入り口にどこか遠くのところにつながっている、そんな感じです。
なんだか書いていて非常に抽象的になってきました。
一言でいうと個人的に大きな学びになったことは、
「臆することなく、直感を使うこと」
自分の心の鏡を磨き上げるということですね。ふきふき・・・。(笑)
そうそう、メルマガ「ワクワクを仕事にするコツ」に「直感と直観のちがい」について書いてあってものすごいささりました。
直感は「瞬間的に感じとる」。
直観は「直接本質を見抜く」。
この説明からすると
レベル2=直感
レベル3=直観
ということになりそうです。
これから使うの気をつけよぅっと。(笑)
なべゆきちゃんのレベル2と3の説明、ナットクです。
レベル3は、目に見えないものを見るという感じなのかな。深いです。。。
投稿情報: odami | 2003-06-12 00:06
なるほど、大分理解出来てきました。
レベル3の「表面的に見えているクライアントの状態を超えた先にある姿を見せる」という状態はかなり難しいですね。クライアントの深層心理をかなり把握できないとね。
奥が深いですね。ふむふむ...
投稿情報: ひろ | 2003-06-12 05:36
wyukiちゃん
いまいち分からないですが、コーチの歴史は、イギリスにあって、人のいきたいところへ馬車で運ぶというのが始まりと理解しているけど、イギリスの大学ではじめたんだよね。たしか。
深層心理を把握するということは、フロイトやユング、ベルグソンなどの人の内面を深く見つめていくこととどうちがうのですかね。
素朴な疑問です。
人の内面にかかわるということは、非常にセンシティブな問題ですよね。心理学や臨床心理といわれる分野とコーチの境(もしかしたらオーバーラップしているのかもしれませんが)がいまいち理解できないんだよね。
よくわからないのは、世界の三大発見者は、ニュートンの万有引力と、ガリレオ・ガリレイの地動説、もう一つがユングの集合の発見にあると理解しているけど、このユングの集合の発見をベースに考えて、コーチに取り組んでいるのか。それとも全く別なのか。コーチは、スキル(単なる手法)なのか。それともこのユングの心理学などの哲学をベースとした手法なのか。
ビジネスでも心理学者などと会話をし成功を収めている人達がたくさん居ると思うけど、この人たちとビジネスコーチとの違いはなんですかね。
野球もコーチが居るし、サッカーにもコーチがいるその分野分野において、卓越した指導と選手を鋭く見抜く目をもっている人達をさしているんでしょうけど、結局良く見ると、ユングやフロイトの考え方に結果として近いことが多いといつも思ってるけど。
最終的には、レベルが深くなればなるほど、コーチというのは,どういう哲学の元で、どの方向にむかっていくんですかね。
ぶっきらほうな言い方だけど、エントリーを見れば見る程、ますますフロイト等の心理学者の偉人といわれる人たちの考え方に近づいてるだけに、更によくわからなくなったなぁ。
投稿情報: toniyan | 2003-06-12 10:06
toniyan、率直なコメントありがとう。
私はこんな風に考えています。
コーチングのルーツや心理学、ユングやフロイトについては私はよく知りません。多分興味が出てきたときに意識が向くんだと思っています。
私が学んできたコーアクティブコーチングというのは、目の前のクライアントの人生全体を対象にして、本人には気づけ得ない思いや視点をいっしょに合意の上で見ていく。そして本人がそのたくさんの視点や思いのなかから自分らしいものを選んで進んでいくことを目指す協働関係なんです。
そういう意味では、toniyanが言っていたビジネスにおける心理学者とビジネスマン、スポーツにおけるコーチと選手はある特定のフィールドの成功のためにフォーカスしているけれど、コーチングの場合は人生というフィールドにおける成功を目指すため関係だといえると思います。
そういう意味では心理学って人の心を読み解く学問だから「人」という意味で重なっているところも多いんだと思います。
もうひとついえることは、コーチングはクライアントの学習と行動を主軸に考えているという意味でアプローチがスキルレベルに落とされていると言えると思います。
コーチングではセッションの最後にクライアントの日常でなにか一歩踏み出すチャレンジを決めてやってもらって、報告してもらうというフィードバックのシステムがあります。そういう意味で実践型なんですね。
いい問いかけをありがとう。答えになったかな???
投稿情報: yuki | 2003-06-13 08:35
>目の前のクライアントの人生全体を対象にして、本人には気づけ得ない思いや視点をいっしょに合意の上で見ていく
この部分は、臨床心理士や心理学の人たち、或いは多くの哲学者たち(いろいろな考え方がありますが)と一緒(若しくは多くの部分で重なってる。)のような気がします。
例えば、いま、多くの学校で、臨床心理士などの実戦経験のある専門家が、ひきこもりやいじめのあっている児童・生徒の悩みを聞き、相手の立場にあって、一緒に悩み、思いを汲み取り、相談にのっています。
その根本にある考え方、スキルは、今まで実践の上に積み重ねてきたことに基づいておこなってます。まだまだ、人数は、少ないですが、生徒の心の支えとなっていることは、間違いありません。
心理学というイメージは、ネガティブに感じる人もいますが、アメリカの心理学会の考え方や心理学者の様々な考え方をよくみると、人生のフィールドにおいて、いかに自分らしく生ききるかにつきています。
本来心理学の方向性や哲学の方向性は、アクティブです。例えば、フランスの哲学者アランが言っているように、大学の卒業試験の合格の基準として、「一緒に悩み(同じ目線で)、励まし、勇気のともし火を相手の心につけていくことが必要だ。(主旨)」ともに苦楽をともにするということですね。ようは、別の言葉でいえば、「できる、頑張れる、前向きに挑戦できる」ということを、相手の背中をたたき、励ましながら、相手のやる気を引き出し、そのきっかけをつくりことだとおもってます。
>コーチングはクライアントの学習と行動を主軸に考えているという意味でアプローチがスキルレベルに落とされている
ということは、どのような哲学の元に、スキルレベルまで落とされているんかなぁ。
しつこいようだけど、人生にかかわるってことは、非常にセンシィティブと思っているからです。
人によって、悩みなどは、いろんな外的な環境や内面によって、複合的に絡み合っている。悩みは、人によって違ってくると思います。
つまり、海千山千のことが多くスキルの方法などは、様々と思うからです。相手の人生を大きく左右する場面に直面する場合もあり、かかわる側の一言がよくも悪くもなる。人生を大きく前向きに変えることにもなれば、逆のケースもありうる。ゆえに、スキルの根本にある考え方は、(誰の、どのような)どういう考え方で、どこからどう始まって、いまに至ってるのかなと。(こんなこと考えるのは、とにやんだけかもしれんけども)
ある意味、やりがいは、非常にあると思う反面、その人の人生に大きくかかわる(関与する)。ゆえに、責任が重大と感じるからです。
ますますわからん状態。う??ん。
コーチングは、イギリス発ゆえにイギリスの当時の考え方、哲学などをベースにコーチングのスキルが形成され今日にいたったと予測されるけど。ちょっくら個人的にも勉強してみまっす。
自分の頭の整理のために、ブログを使ってしまった感あり。汗)ブログに書くと長くなるね。ちょっと反省。
投稿情報: toniyan | 2003-06-14 12:52
今回の内容、とてもありがたく読ませていただきました。
ゆきさまの話を聞いていると、頭の中がとってもすっきり整理整頓されるのと、学ぶってなんて面白いんだろうって感じます。
内容を正確に分かりやすくぎゅっと濃縮してアウトプットする能力、相変わらずすごいわよ??。
投稿情報: maki ogawa | 2003-06-16 15:15
toniyan、重ねてレスをありがとう。そういう問いは本当にウエルカムです。反省しなくっていいっす。(笑)
「人は生きてるだけで周りに影響を与えている」
コーチングのワークショップで聞いた、そんな言葉を思い出しました。人の人生に大きく関与する、それはコーチングだけではなくて、呼吸してるだけでインパクトがあるはずなんです。
コーチングのワークショップを受けていたときに仲間内からも人の人生に関与するんだから滅多なことはいえないんではないか?という問題提起はあったんだけど、逆にだからこそ、toniyanが書いてくれたように哲学者アランのようにポジティブに人を励ますことができることが尊ばれるんではないか、と思ったりします。
投稿情報: yuki | 2003-06-16 21:30
Makiさんのコメントもうれしいっ!
こないだHajimeさんと食べたイタリアンでもお褒めの言葉をもらってちょう、ちょう、ちょううれしかったです。
いつもありがとう。
投稿情報: yuki | 2003-06-16 21:42
とにやん。ちょっくら勉強してみます。コーチングといってもいろいろあるんでしょうし。
>コーチングのワークショップを受けていたときに仲間内からも人の人生に関与するんだから滅多なことはいえないんではないか?
とにやんは、こうはおもってないんです。ゆきちゃんとおんなじで、だからこそ積極的に関わる必要もある。ただ、これがコーチングの範囲なのかどうか。コーチング+アルファなのか。人生に関わるということは、責任も伴うケースもあるわけですから。
ゆえに、どんな考え方が根底にあるんかなと。単純にそう思っただけです。
投稿情報: toniyan | 2003-06-17 01:30