昨日、Masaさんと話をしていて、メールもいただいて思ったんです。
人は自分の価値観をもとに、あることや人に対して判断をします。時にはそれが好きだったり嫌いだったり、良し悪しだったりするわけです。
私がコーチングで一番目からうろこで好きな考え方に「誰一人間違っている人はいない」というものがあるんですが、最近はそう思ったらどんな人でも好きにはならないにしても、共にいれない=自分で判断してその人をばっさり切ることはなくなってきたんです。
Masaさんとメールのやり取りをしていて思ったのは、人に対してはそういう考え方に慣れてきていたんだけど、モノについては一切これまでどおりだったな、と。
人はしゃべるけれどものはしゃべりません。しゃべらないからこそ、自分の思い込みや価値観などが変わりにくいのかもしれません。
例えば、高い壷を買ったりするのもそういうことなのかも。(まあ、深く突っ込まないでください。)
そこで直感的に思い出したのが、なぜか橋本龍太郎の話。どこで読んだのかもさだかではないし、いつその記憶がインプットされたのかも覚えていないのですが、橋本龍太郎は本をものすごい大切にするとのこと。子供が本を跨いだり、ましてや踏んだりしたときにものすごい勢いで怒ったとか。
Masaさんとはお金について話をしていたんですが、お金って人によってはやっかいなものだったり、自分の夢を実現してくれたり、おいしいものやお酒が飲めたりだとか、安全のためのツールだったりとさまざまです。
でも、そういうものに役割を与えるのは結局自分。自分がそのものをどう使っていきたいのかということを反映するんですね。
今日は久々につれづれなるままに思考を垂れ流してみました。(どぅあー)
旧人類と新人類の境目世代の私ですが、親からはいつも「モノを大切にしなさい!!!」と怒られながら育ちました。第二次大戦世代の親は、モノが無い状況をずっと体験してきているので、どんなモノでも非常に大切にする傾向があります。大量消費が当たり前になり、使わないモノをすぐに捨ててしまうのが当たり前になりつつある社会では、今一度モノへの価値観・こだわりを考え直してみたいですね。
以前ユキさんから聞いた構想の eWarashibe 的なリサイクル・システムが本当に必要とされる時代になっている気もします。自分ではもう使わないものが、他の人にとっては非常に価値があったりする。あげてもいいのだけれど、あげるべき人をマッチングしてくれるネットの使い易い仕組みがない....Auction System とはまた違った、リサイクルの流れを円滑化するサービスが何かあればいいなと思ったりしています。
(ちなみに本好きの橋本龍太郎は、首相の時にはよく一ツ木どおりの小さな書店に来ていた様ですね。最近はどうなのかな。)
投稿情報: minami | 2003-04-10 07:07
blogって自分の趣味趣向に近いひとを惹きつける力がありますよね?その人たちと本だとかガジェットを共有できたら、という構想は私をわくわくさせます。
eWarashibe構想の時にはちょっととんだところでいきなり価値と価値のバーターを考えていましたが、最近は身近でもそういうシェアという試みができるんじゃないかと思っています。
あとやっぱりモノも買取ではなくレンタルやリースという発想が現実化されてもいいんじゃないかと思ったりします。ヒトもモノも地球上の物質。土に戻ってゆくのですから。
投稿情報: yuki | 2003-04-10 21:55