久々にコーチングネタ。
先日、松本さんと文楽について話をしていて、近松門左衛門の秀逸さについて語ってもらっていました。私は歌舞伎や文楽については興味はすごくあるものの、実際に観にいったことはないのすが、いわゆる心中ものですね。
心中というと我々庶民的には理解できないと思いがちなのですが、松本さんによると近松門左衛門はその普通では理解できない行動の裏にある本人の心の機微や時代背景、その他もろもろの状況を表現するのが上手なんだそうです。なので見ていると当事者のように心中という選択肢しかないという感情になるらしいです。
そこで私は考えました。
私が学んだコーアクティブコーチングの「ルールNo.1」と呼ばれる前提は「誰一人間違っている人はいない」ということ。よくなんであの人がそんなことをするのか理解できないといった一人称的な考え方をしてしまいますが、どんな行動や考え方にもその人がそう考えたり行動するにいたった必然性があるんだと思ったんです。
この間読み終えたNLPの本にも似たようなことが書いてありました。
物理や数学といった論理的な考え方も人とシェアできて理解できるからこそ、常識になっていますが、例えば精神的におかしいと思われている人の論理はシェアできないからおかしいと思われている。アインシュタインのような人ももしその考え方がシェア(理解)されなければ、地動説を口にした時のガリレオみたいに変人だと思われてしまうわけです。
ちょっと話がずれましたが、どんな人の行動や考え方にもその人なりの必然性があって、それを理解しないのに一方的な判断はできないなぁと思うわけです。
コーチングの「誰一人間違っている人はいない」という姿勢は、コーチングするときに鏡のようになって、近松門左衛門としてその人の考え方をシェアして、その主人公である人に観客としてのさまざまな視点を提供するっていうことなんだと思いました。
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