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2003-02-14

コメント

uepon

はじめて書かせていただきます。
が、よろしいでしょうか? いつも楽しく拝見させて頂いています。
“一般の人”と“本当に気の許せる友達の前”と違う。そうなんですよね。
立場が違うとき、関わり方が違うときなど、私自身も使い分けが気になります。自分自身を考えたときは勿論。他人の使い分けを見ているときは、つくづく不思議を感じて自分を振り返ったりします。

ちょっと私ごとに触れさせてください。
私は、演劇関係の仕事に携わっています。演出と後進の指導が主です。
上司と部下とか、看守と囚人といった役を演じたとき、人はそのように演じてそのように接する。相手役が代われば“使い分け”がそこにある。
見ている方も演じている方も、暗黙のうちに受け止める。
そうなるのはわかっていても、何故“そのように”そうなるのか?
さも決まりごとのようで曖昧な意識がそこに働くのは何故? 後天的に様々な条件反射が機械のスイッチのように働くのは何故? そうやって作られていく自分は何?
どれも、その人であり自分なんですが、wyukiさんと同じように、社会人らしさとか、自分らしさを考えていくと、よくわからなくなってしまいます。

仕事がら、話題にのぼることも多いんですけど、徹底的に話し合ったことがありません。

ん??でも面白いくらい気になりますね。

おじゃましました。

yuki

ueponさん、こんにちは。初めてお会いするのかな?

演劇のお仕事をされているのですね。演劇好きです。観るほう専門ですが、この間かめおかさんにワークショップをやってもらったら、ものすごいはまりました。自分で体を動かして、自分らしさなんてことを忘れて初めて自分らしく動いていたりして。(笑)

『「自分らしさ」とは「自分らしさ」ということを忘れたときに初めて自分らしくなる。』
なんて逆説的にも思えてきました。

ただ、人間って他人あっての自分というところがあるので、目の前の人に対して自分がどういう風であるか、ということが自分のある種の考え方を反映しているのでしょうね。だからこそ、目の前の人に影響されやすい。上司や部下、看守と囚人、そういう周りからの環境設定なんかに弱い。それでも私の周りを見ると環境設定お構いなく結構ずっと自分らしく振舞っている人が多いような気がします。そういうのに気づくとちょびっとうらやましくもあるのです。どこにいっても変わらない自分らしさがいい意味でも悪い意味でもあるのですから。

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