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2002-10-07

コメント

Chiemi Sakurai

おじゃまします!初Mailです。

「コーチングを学ぶ」という視点から「コーチとして生きる」という視点への転換!う??ん・・素敵ですね。

私の今回の気付きは、人が集まって話すことで、360度の視点を一気に体験できるということです。早すぎて頭の整理ができない時もありますが、その刺激がいい!(もちろん、どんな人でも集まりゃいいという訳ではありませんけどね・・)

おじゃましました!

yuki

いらっしゃい。ゆっくりしていってくださいね。(笑)
昨日少し説明したんですが、blogってなんか私の家、見たいなもんなんです。

「私はいつでもここにいる。」
安否確認ができますね、家族にも教えておくか。(笑)

kentaro

さらに視点を変えて、
「コーチをコーチする」という視点に立ったら、何が見えてくるでしょうか?

yuki

「コーチをコーチする」なんだか、すごい深い。

直感的にはクライアントであるそのコーチの後ろにそのコーチがコーチングしているクライアントがたくさん見えますね。なんだか守護霊みたいな感じ。(笑)

もうひとつ感じたのは、コーチ(クライアント数)×コーチ(クライアント数)で、ものすごい乗数効果がありそうなコーチングセッションだなぁと。

コーチに向けたコーチングはなんだかとってもスケーラビリティがありそうです。

minami

beingとdoingの間でバランスを取る、なかなか良い言葉ですね。突出することも重要ですが、ふと行動している自分の存在をまた問い直す第三者的視点に立って、常に戦略を練り直していくことも重要。その積み重ねが、本当にありたいと思う自分の姿をあぶり出す助けになるのでしょう。

芯となる部分、being、はあまりぶれてはいけないのでしょうが、置かれた環境の中から最大の成果を得る為に常に自己革新をしていく doing、これはとても大切ですね。また Yuki さんから教わった気がします。

maki ogawa

一番ホットな話題だと思うので、ここに書こうかな・・・。

beingとdoingのバランスとおっしゃった時、本当にぴったりきた気がしました。
更に私の中のbeingというのは、例えていえば、20世紀少年の中で、おっちょが滝壷に飛び込んで、滝壷のそこから見た光。あれなんですね。(ご存じない方はスイマセン)

ですからそこを基準というか最終目的地にして、今の自分から次のステージへ最短で行くための最良の方法を選ぶために常に「バランス」的行動を取っている、もしくは取ろうとするという感じなんです。

ですから、行きたい場所、次に手に入れるもの、ステージ、ステップ、何でも良いのですが、それが見つかった瞬間から、それを得るために今出来ることという視点から、バランスが始まる。出来そうに無いと思っても、必ず何か最低一つは方法が存在するような気がして・・・。

バランス、特に「視点」は好きですね。フルフィルよりも新鮮な何か・・・そう、新鮮な血液が体内に流れ出した気分です。

少し長くなったのですが、最後のセッションで荒井さんに約束したことがあって、実は経済の勉強をはじめるというテーマとともに、ふっと閃いた「仏教が知りたい」という欲求があり、このテーマについて、この場をおかりして情報収集したいということなんです。

私はこれといった宗教にはを信じているタイプの人間ではなく、「大いなる力」を信じるというか、それに近い考え方をしている。けれど、いつか仏教の教えを知りたいと感じている私がいることは間違いないので、何か、お勧め・・・。お勧めといってしまうと軽軽しいような気がするのですが、ここから学んでみると良いというものがあれば是非教えていただきたいです。よろしくお願いいたします。

yuki

大いなる力。これも視点な気がしますね。レベル3的に場の力というのも感じるし、自分の力の届かない外部的な力ということもできる。でも、実はその外部的な力もレベル1的なものにつながっている。

なんかぐちゃぐちゃしてきましたが、仏教ってそういうことをきちんと整理してありそうな予感がします。私もOgawaさん同様、宗教とはちょっと距離が離れている人間なんですが。

安永さんにTao Shiatsuという指圧の教室を紹介していただきました。それがちょっとOgawaさんの求めているのに近いかも。体からそういうことを考えたもので、頭でっかちの私にはブレイクスルーになりそう。いい意味でも悪い意味でもOgawaさんとは似ているタイプなので(笑)いいかも。
http://www.taoshiatsu.com/jpn/history.htm
(実は昨日、体験学習コースを申し込んでしまった!)

わたなべ@妙にアクティブで元気一杯

yuki tanaka

仏教系高校在学中のインド哲学の時間を思い出していますが、私のアタマの中に残っているのは『ブラフマン』と呼ばれるもの。

『神』には二つの資質があり、一つは、神格を有し、それに対して、我々が祈り、瞑想し、相互のつながりを期待する、もう一つは、空(くう)あるいは白い光で、宇宙の中心生命であると解かれています。後者がブラフマン。

ブラフマンに対し 自分の生命をアートマンと呼ぶのだったと思います。(・・・なにしろ○十年前)

『ブラフマン』は手塚治虫の??ブッダ??では 老人の姿をして登場し シッタルダに??気付き??と??行動??を促す問いかけをします。

yuki tanaka

仏教系高校在学中のインド哲学の時間を思い出していますが、私のアタマの中に残っているのは『ブラフマン』と呼ばれるもの。

『神』には二つの資質があり、一つは、神格を有し、それに対して、我々が祈り、瞑想し、相互のつながりを期待する、もう一つは、空(くう)あるいは白い光で、宇宙の中心生命であると解かれています。後者がブラフマン。

ブラフマンに対し 自分の生命をアートマンと呼ぶのだったと思います。(・・・なにしろ○十年前)

『ブラフマン』は手塚治虫の??ブッダ??では 老人の姿をして登場し シッタルダに??気付き??と??行動??を促す問いかけをします。

yuki tanaka

すんません・・・2つも送ってしまいました(汗)

Arai

今回のバランスは、いろいろな気づきができました。最大の収穫は職業選択です。TokyoFoxの私はサルタン(マレーシアの王様)を目指すことにしました。ナベユキさん同業者ですが、競合しないので業務提携できそうですから、ご指導よろしくお願いします。

このことに気づかせてくださった安永さんへ感謝です。

yuki

おがわさん、just ideaですが、仏教系の大学とかありますよね?そこの市民講座みたいなものに参加してみたらいかがでしょう?立正大学とか仏教大学とか。

確か、安永さんがその辺、くわしいかと思いますのでダイレクトに聞いてみるのもよいかも。

yuki

Araiさんが打ち上げで非常に感心しながら、安永さんのお話に聞き入っていたのが印象的でした。

業務提携、大いにやりましょう!(笑)
ビジネスというフレームワークでもこのblogに来てくださる方は、面白い方が多いので、楽しみです。

Arai

皆さんは宗教に何を求めているのでしょうか。

イスラム教でも、キリスト教でも、仏教でも、教えは生き方とあり方に集約できると思います。これって、BeingとDoingでしょう。

ナベユキさんが最後にまとめたBeingとDoingのバランスこそが、小川さんの求めているもののように直感しました。

究極のBeingにふれるために勉強もいいかもね。

nob seki

僕は宗教は、偉大なる歴史の集大成だと思っています。そういう意味では、宗教は非常に興味深いです。でも、もしウチの書棚を見ると、「ちょっとアブナイ」と言われるかもしれませんが。

yuki

多分、ここに来てコメントを書いている人は私から見ると本当に生きることに対してこだわりのある人ばかりです。だからついblogを書く指にも力が入るのですが(笑)、Sekiさんのいうように歴史って人の生き様の重なりじゃないですか。例えば、コーチングは説明すればするほど宗教っぽいという印象を与えるようですが、それは仕方ないんじゃないかとおもいました、今、直感的に。なぜならばコーチングは人がいかに自分らしく生きるかっていうことがテーマだから。

昨日、あるコーチングの集まりに行ってきたのですが、そこで話題に挙がったのは「コーチングのよさについて説明すればするほど、宗教かと思って引かれる」というものだったので、今、このロジックに気づいて、膝を叩きました!そっかー!

tanaka

そっか??!そうですよね。
??なんか宗教っぽくない???と言われたとき
私の話しかたが うさんくさかったのかいなと
的外れな反省をしていたことに 気付きました。
目ウロコです ありがとう。

yuki

どうやったら宗教的にならない説明か、ということについて歩きながら考えていました。
そこで思い出したのは1冊の本です。人を観察するのが非常に得意な友人が「この人が言っていること、やっていることはゆきちゃんそっくりだ」と薦めてくれた本です。「斎藤一人のツキを呼ぶ言葉」(東洋経済新報社)。サブタイトルで日本一の大金持ち!と書いてありますが、例えば仕事でツキをよぶ言葉で「よい人相は顔に○」とか「頼まれ後とは運が良いしるし」「運に勢いをつける」「『はい』は気持ちよくはっきりと」などは確かに当てはまるなぁと思っていたのです。
ま、自分が当てはまるかどうかというのはおいといて…。なぜこの本を思い出したかというと、教訓自体はコーチングと一緒でその人がその人らしい人生を送るためのtipsなんですが、「風が吹けば桶屋が儲かる」的にでもどうしてそういうことをすれば自分らしい人生につながるか、ということをロジックで簡単に説明しているからです。なので、コーチングを説明するために一度きちんと論理的に「コーチング」のありがたみをまとめてみたらどうだろうかと。ビジネスで言えば提案書ですね。
私は明日、初めてのクライアントとコーチングのセッションを持つので、ちょっとまとめてみようと思っています。

田中さん、良い問いかけ、ありがとうございます。

yuki

自己コメントですが、コーチングでも「提案書を用意する」、これやめてみようと思います。
今日、コーチから「用意しないでやってみたらいいんじゃないか?」という感想をもらいました。
いっつも「提案書」をつくって、ちゃんと自分なりに準備しておくというのが癖になっていて、いいことだと思っていましたが、「そういうのもありだな…」と素朴に思っちゃいました。

自分の当たり前の考え方、行動を止めてみる。これも一つの視点の変え方ですね。

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