最近、ちょっとしたことで心の合言葉になっていること。
「信じて、待って、あきらめない」。
船旅を通じても感じたのですが、、本当にこの人はあきらめずにひたすらに思いに向かって走りつづけているなぁと痛いほどその姿勢に感じ入ることがありました。
それ以外にもどうやら仕事や日本という大きな枠組みのなかでは短期的に決済しようとしている人間関係ややり取りを見ることが多く、それが気になります。
確かに人の時間をもらうことがあったとき、相手にメリットやありがたみを感じてもらうことを心がけることは大事なのですが、それ以上に自分が腹から感じていることをその場に出すことのほうが長期的に大切なのではないかと思うのです。
それと同時に、逆の立場に自分が置かれたとき。すなわち、その場だけではその人や出来事の良さを理解しかねるときにも、どういう姿勢でその場に向かい合うかが問われるのだと思っています。
その場に対してある種のあきらめを感じる時に、どう自分が反応するか。
かなりホットなトピックです。
共感です。
調子のいいときは、ポジティブにしか考えませんが、必ず壁にぶつかる。そのときに乗り越えられるかどうか。大概、乗り越えると、得られるものがある。それは自分にとってのブレイクスルーであり、他者にとってのブレイクスルーともなりうる。例えば研究成果など。
乗り越えようとしているときは、強さが必要ですが、同時に他者からの批判を受け入れる柔軟性も必要だと思っています。他者からの批判によって地盤が固まるとむしろ期待しています。逆に自分が評価をする立場であれば、自分が間違っていると思ったことは、伝えるべきだと思います。伝え方は難しいですが。
投稿情報: Mine | 2004-02-06 11:26
「あせらず、おこらず、あきらめず」美空ひばりの言葉です。
私は何かにぶつかると必ず思い出すようにしている言葉です。
似てるような気がするな??
投稿情報: ami | 2004-02-06 15:42
wyukiさん、何か凄く大切なメッセージなような気がする。でも、単細胞の私には、分かりきれないです。可能であれば、具体例に(架空のお話でも良い)してもらえれば本当に分かるかも。
投稿情報: Fujiko Suda | 2004-02-06 16:22
はじめまして。
軽く言えることではありませんが、「その場に対してある種のあきらめを感じる」のは、自分の期待が過剰だった、ということではないでしょうか。なので、そういうときは、冒頭の「信じて、待って、あきらめない」というのは、正解だと思います。ただ、「待つかどうか」は状況によるのでしょうね。何を信じるかは奥の深い問題ですが、私の場合、まず、自分を信じることにしています。
いずれにせよ、「信じて、待って、あきらめない」というフレーズがなかなか良いなぁと感じたのでコメントさせていただきました。
投稿情報: 川中正隆 | 2004-02-07 10:13
みなさんに、とても芯のあるコメントをいただいて、1週間心に留めておりました。ありがとうございます。
「信じて、待って、あきらめない」という言葉が浮かんだのは、「信じず、待たずにあきらめる」というパターンが自分の中にあるなぁと気づいたからです。
川中さんが自分を信じるとコメントに書いてくれましたが、自分を信じることから始まる気がするし、Mineのいってくれているように、それは壁にぶつかって乗り越える経験から生まれるような気がするのです。
Amiちゃんが美空ひばりの言葉を書いてくれたんだけど、怒ることが少なくなりそうですね。自分に腹を立てたり、人に腹を立てなくなる。それは、川中さんのコメントにもあるように、期待も大きく関係していそうです。
期待の内容とその期待したことがいつ達成できるのかという時間軸。
期待を長く持ち続ける、それは期待ではなく、希望なのかもしれませんね。期待が考えであるとするならば、希望は思いかな。
ちょっとまとまりませんが、そんな風に思った1週間でした。
Sudaさんに具体的にはどんな感じかなぁと投げかけられたのですが、かなり卑近な例を出すと(笑)、ミーティングで、ああなんかもうこれ以上話しても時間がかかるし、面倒だなぁと思った時に、力がみなぎっている感じではないけれど、まだ話を続けていこうと思う時に、このフレーズが浮かんだりします。
投稿情報: yuki | 2004-02-11 10:45