なぜか連日でめんちゃんこ亭のエントリーをするのも微妙な気持ちだが(笑)、今日もめんちゃんこ亭にいってきました。
アメリカで日本人の方と会うということでここになったのですが、3分の2ぐらいは日本にいる感覚で話ができるところがちょっと嬉しい。
先日ファイヤールさんというフランス人と京都でいろんな話をしたときと近い感覚を覚えました。
最近考えていることがとても明確になりました。
??国々の格差
私はせいぜい30年弱しか生きていないということもあり、その前の出来事やその周りの国々で起きてきたことは「歴史」ということでは見聞きすることがあるものの、実感を持って何が起きていて、その比較をすることは難しいです。
私は恐らく15カ国ぐらいの国に旅行客として訪問したことはあるけれども、アメリカやその他の国に長く暮らしたことはありません。なので見聞きしたところでしか国々の格差(というか違い)について知ることはできないのかもしれません。が、しかし何かが起こっているような気はしています。先ほども話をしていて思ったのですが、日本は平和な国である(あった)ということは、ある種の利権構造とその利権構造を中心とした人とカネの流れが円滑に回っていたからだと思っています。それに比してアメリカという国は公明正大なコンフリクトが大きい分、情報開示や裁判等の解決手段によって比較的三権分立的なバランスがとれている国だと思っています。
もちろん、これは乱暴な解釈かもしれないし、いま国際情勢を考えてみるとこのアメリカのなかで比較的スタンダードになっている分権体制はとられていないかもしれません。
??時間軸の考え方
自分の生きてきた時間と目の前にある「今」という時間にフォーカスすることが多いというのは普通のことだと思っています。確かに将来のことはわからないということはあったとしても5年先10年先にどうしていたいのか、もしくはどうなっているのかということに思いを馳せることは大事なことだと思っています。
??自分の譲れない信条
以上の2つについて考えてみると、??の自分の譲れない信条はもっとも大事なことだと思います。何を何に優先させて選択するか、そしてその選択がぶれないというのは自分の信条が関係してくることだと思うのです。そして自分の信条というか価値観は偉い人だとかものをちゃんと考えて見極めるとかいうことではなくて、すでにその人のなかに誰でも持っている類いのものだと感じます。ただ、自分の価値観や信条に触れるものを見たときに自覚してそれを大事にしたり選択をしていかないと、すぐにないがしろにされてしまうような気がします。きっと自分の譲れない信条に気づくことが自分に自信をもったりセルフエスティームを高く持つことにつながるのではないかと。
先日ワークショップのなかで自分ではない何者かを演じてその視点から発言をするというワークをしてみました。たとえば、??子供の視点、??素の自分の視点、??世間様の視点などを次々とやってみると、どの視点に素の自分の視点が近いかということを認識することができます。
なぜこのことを書いたかというと、自分の譲れない信条が世間やほかの人の信条に同調しているとき、そしてそのことに気づいていないときには、比較的苦しいことになるのではないかと思ったわけです。
コーチングでもグレムリンという自分のなりたい自分や素の自分の思いに突っ込みや批判を行う存在とどう向き合うかということは大きなテーマになりますが、特に日本においては先ほどのワークにもあるように、素の自分が大事にしていることと、世間様の大事にしていることの距離感を一度感じることが必要なんだと思ったわけです。
閑話休題。
ということで、長くなりましたがこっちにきての所感です。
先日アメリカに出張した須田さんが、日本のブロードバンド環境とアメリカのブロードバンド環境を比して、短期間に日本のインターネット環境が格段によくなって、アメリカにくるとblogもできないとエントリーしていました。まったく同じことを実感しています。残念ながら、めんちゃんこ亭やその他の写真をUPすることができません。(涙)それはまた帰国してからということで。
うしっin Americaもお楽しみに!
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