高校の同級生仲間のMLで「モチベーション」についてディスカッションしています。
「なんのために仕事をしているのか?」そんな日常的で素朴な疑問が発端です。
この間、学校の先生のためのワークショップに出させていただいたのですが、そのときにも「なんのための教育なのか」という疑問が頭をもたげました。
私の周りでかっこよく生きているひとは、自信と余裕と遊び心を持っています。
そして生き方にぶれがありません。
「仕事」「教育」「生き方」について並べて書いたのは、なんだか全部つながっているような気がするからです。
例えば、先日こんなことがありました。
後進を育てる、といった趣旨の場で「はげしく人生の厳しさを説く人」、「相手を受け入れ、励ます人」というタイプに別れました。それはあたかもデジャブを見ているような気になるぐらい自分にとっては重要な問いを投げかけられた感じがしました。
どっちがいいとか悪いとかいうんじゃないと思うんです。
よく人を「叱って伸びるタイプ」と「褒めて伸びるタイプ」なんて風に分類することがあります。(自分のことを考えると明らかに後者ですね。)
どちらのタイプであったとしても、まず自分にちゃんとぶれないコアな部分が土台になるんだと思っています。そしてそれは人の期待に応えたから評価される、いい大学に行ったから一目置かれるといった一過性、表面的なものではなくて、「そのまんまで価値がある」、さんまが娘につけた名前「いまる」(「生きてるだけで丸儲け」の略)的なもんじゃないかと思うわけです。
なんだかそういうことを考えて、相手に対する評価をしつづけるような姿勢やオーラは出したくない、そう固く思いました。相手をまずは受け入れて、そしてその人の良さや自信がそこはかとなく香りたつような、そんなオーラを持つ人になりたいですね。
人に大きな影響を与える人、特に教育に関わる人って先に技術じゃなくて、根本的なその人自身の在り方、その人のぶれないコアな部分がベースにあって、その上にスキルがあるから教えるプロなんだと思う。そうじゃない人の方が多いけど、だからこそ、まずは気づいた自分から、ぶれない自分づくりをしないとね。
投稿情報: Sakurai | 2003-07-06 23:42
このエントリー、個人的に感想をいただくことが多かったです。みんなそれぞれに考えてくれていてなんだかうれしかったなぁ。
投稿情報: yuki | 2003-07-08 22:57