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2003-02-27

コメント

ami

Yukiさんらしいエントリーですね??
なんかうれしい気分。
”余裕と笑顔”私も常に忘れないようにしています。
私の場合”健康と笑顔”というかんじかな。
モーレツに忙しい、、、とのことでしたが
あたたかいお風呂に入ってね。
もっと余裕があれば、いい香りのものを使って
その日の緊張や張り詰めたものをクリアにすることがいいですよね。

minami

普段なにげなく行っていることを面白くする、というのも、新しい心の余裕を作る上では良いですよ。

私の場合は、ネット歩数計(by OMRON) を導入し、これまで漫然とやっていた軽い運動代わりの長距離歩行を3700人参加の Walking Community との競歩(?)にしてから、俄然歩くという動作が面白くなってきました。

http://www.walking-style.com/info_diary/

(別にオムロンのセールスマンではないのだけどね。)

こんなやりかたもありますよ。がはは。

yuki

Amiちゃん、Minamiさん、コメントありがとうございます!
俄然、個性が表れますね、こういうときの自分らしさ調整術。(笑)

さっき私のコーチとしゃべっていて、昔子供のころに没頭してみるというのも、素の自分が表れていいよね、という話をしていました。マンガよみたいー。マンガ喫茶半日コースかな。(笑)

あと、走ったりして我を忘れるっていうのもありますね。これは荒療法?!でも、結構そういうのも好き。Minamiさんのネット万歩計をつけて、ダッシュとか!(笑)

toniyan

 文面から、察するに相当切羽詰った状態。心に余裕がない状態ですね。大丈夫ですか?

 とにやんは、いつもあまり「忙しい」とは、いわないようにしています。忙しいというと余計忙しく感じるし、冷静なときに後から振り返ると、忙しいというだけの余裕があったなと感じるからです。

 当然、心に余裕がなくなると、視野が狭くなり、周りがみえなくなって、自分では分かっているつもりなんだけど見えなくなっていたり、いらいらして、自分では気が付かずに、ついつい厳しいことを誰かにいってしまって傷つけていたり、人を見下したりなどなど人間だからいろいろあります。もちろん、人によって難題に直面したときの性格の現れ方は、違いますよ。

 忙しいとは、「心を亡くす」と書くとおり、忙殺されて、気がめいりますね。でも、一流の人ほど、心に余裕があり、いろんなことを思索し前向きです。結局、難題に直面したとき、環境に振り回される自分か、環境をものともせず、悠々と乗り越えられる自分か、「人としての器の大きさ(度量)」の問題だなと思っています。世間において、有名、無名とわずにです。肩書きや地位に関係なく、とにやんが、接してきたいろんな人をみてそう感じます。だから、とにやんは、「まけへんでっ!自分の人間力を大きくしよう」っていつも心がけることに努めています。「忙しいという言葉は、自分の置かれた環境に右往左往している自分なんだ」ととにやんは、思っています。だから、とにやん的にいえば、「余裕と笑顔を絶やさず」にというよりは、人間の器を大きくすることによって、余裕がうまれる。それによって、笑顔が絶えない。つまり、「余裕があるから、笑顔が生まれる」ということだと思います。

 とにやんは、努めて、心に余裕を持つ作業をしてます。するといろんなことから、インスピレーションを受けることがあります。

特に、最近では、読書や思索をすることを少しずつですがしてますよ。いま、家では、上杉鷹山を読み直しています。さすが、ケネディーがしっている日本人として名まえをあげる人物だなと思ってます。

もちろん、これ以外にも、心に余裕を持つ作業として、らーめんへの探求も「心を耕す」作業につながっていると自分では思ってます。(笑)(これで、いそがしさとのうまくバランスが取れてるんでしょう。)結果的には、いろいろな人との出会いをうみ更におもしろくなってるなと。この経験が、いろんなところに生かされつつあるなと思ってます。

 前にも言ったかもしれないけど、blogは、頭を整理し、冷静に自分を見つめる作業として、良い道具の1つだと思っています。(もちろん、他にもいろんなメリットがありま
すが)Blogなどを活用して、日記などをつける以外、いろんなことが目の前をハイスピードで通り過ぎるだけに、自分を冷静に「振り返る作業」をなかなかしないからね。そのためには、このツールは、有効な手段の1つだと考えます。

yuki

とにやん、素敵なコメントをどうもありがとう。
『とにやん的にいえば、「余裕と笑顔を絶やさず」にというよりは、人間の器を大きくすることによって、余裕がうまれる。』という部分、特に真髄をばしっと書かれてしまったなぁと思って読んでいました。

コーチングのひとつの考え方に「山を登る」「谷を下る」というものがあります。大きな山を登ることができる人はそれだけ同じ高さの谷を下ったことがないと登りきることができないというものです。
とにやんが言っていた「人間力」ってそういうことなんじゃないかなぁと思います。器の大きな人間というのも、やっぱりそういう経験をして、そこでの感情や経験を一過性のものにせず、自分の器にしてしまうのでしょう。

ガンジーといった偉人もきっと谷を下るような経験をしていて、だからこそ偉業がなしとげたのではないかとコーチと話していました。人生、生きていれば山も登れば谷にも下る。山や谷自体は良し悪しではなく、そういうときの姿勢が大事なんだと思います。

takeru nishiu

 今、いっぱい酒飲んでものすごーくよっぱらているのだ。こんなことではいけないと思いつつ今日も飲んでいる。
 ここ3年ほど日記を書いてつくづく思うのだが、人を決めるのは、その人の器だと…やっと気づいたのである。でも、器をいきなり大きくすることもできないしそれはもう大変なのだ。でも、なんとかして大きくなりたいと思っている今日この頃なのだ。

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